BLOSSOM通信

叔母の“生き方”指南

母が82歳になると、母の姉妹たちも皆限りなく80歳に近づいてきています。
それでも不思議なもので、母は長女で、もう病気療養して10年以上も経つので『元気ではない』ことが私の中では常識で、妹に当たる叔母たちは母より『若いので元気』と思い込みたくなります。
 
そんな叔母が「人間80歳まで生きて死んだら“大往生”っていうんだよ」と、言います。「人間が80歳まで生きるというのは並大抵の事ではなく、大変な事だ」といいます。
80歳まで生き抜く人が、たくさんいるわけではないのです。若くして亡くなってしまう人が半数はいます。だから80歳まで生きたら“大往生”。その人が亡くなっても悲しむことは無いのだと。(※国語辞典の意味とは異なると思いますが・・・)
 
母が亡くなっても悲しむ事は無いのだと、母としても大往生だし、その覚悟もそろそろしておけという、叔母の私に対する配慮だと思いました。
 
私から見ると、叔母は、仕事で留守がちの叔父との間には子供が無く、その分金銭的には豊かで…。叔父は50歳代で仕事の事故で亡くなってしまいましたが、叔母はその後もある意味好きに自由に生きているように見えていました。
 
叔母は「神様は人間に必ず役割を与えているので、私たちはその役割をちゃんとするように出来ている」となにやら“テレビで見た”という話しをしてくれるのです。
そして、その役割に対して、憤慨したり、不平を言うのではなく、見方を変えたら、人に優しくなれると。
9人も兄妹がいるのに、80歳過ぎた両親の最後の面倒をみたのは、この叔母でした。「でも、子供もいないし、それが役割だったと思うよ」と。
 
私は母一人娘一人なので、役割を分担したり選んだりする事はできません。決して裕福な環境で育ったわけでもなく、自分が結婚しても結局は離婚を選んで母子家庭。母の一切合切も引き受けなくてはなりません。なぜ何もかも自分だけに降りかかるのだろうと、悲しいというより腹が立ってくるのです。
 
“役割だ”といわれても・・・素直に受け止めるのは難しいです。
 
叔母曰く「人を恨んで生きるのではなく、優しさをもって生きなくてはダメだ!人は自分で自分の人生を引き寄せているんだから」と。う~ん、何かの本で読んだな、と思いながら聞いていました。
 
叔母も随分悟りを開いたものだと感じながら、たまたま私自身、最近パワーが出なくて色々模索していたところなので、自分を振返るには良い機会になりました。
 
私のパワーの源は、『〇〇には負けない!!』と、これだけだったように思えます。
子供を育てるときも「父親のいる家庭には負けない!」、仕事も「誰にも負けない!」、資格を取るときも「大卒者には負けない!」と。
いい言葉で言うと“ハングリー精神”でしょうか。
まあ良い意味の完ぺき主義でいることもできたのですが・・・、確かに勝っても、それほど嬉しくはなかったような気がします。
 
叔母が「あんたの顔が明るくないよ!眉間にシワがよってるでしょ!」というのです。
念入りに化粧をしたにも関わらず。
あげくに「暗いね!」です。
 
あまり人から「暗い」といわれたことが無いのですが・・・。
でも、確かに暗い顔でしょうね。パワーが出ない私は、パワーを出すために『負けないぞ』と強く思える対象を探していたのでしょう。
“負けないぞ=恨みやねたみ”の対象になる物を探していたのかもしれないのです。
 
頭の中の知識や常識では、人に対する慈愛や優しさの大切さは十分に理解し、口に出せるのです。
ですが、自分の心の中では・・・と考えて、一瞬ドキッとしました。
 
何かをうらまなきゃ生きていけないときがあります。
今までの私は、そうして生きていたのかもしれません。
雑草のように踏まれても頑張る、そんな暗い自分に酔っていたところも否めない気がします。
 
これからは誰かを負かして自分が勝つためではなく、誰かと共に勝っていく自分創りをしなくては!!
色々な本も読み、色々な勉強もし、知識として満たして、わかった気分でいましたが、実行できていたことは一つまみもあったかどうか・・・
 
生きていくって、本当に大変で、並大抵の事ではないですね。
私が大往生するにはまだまだ年月があります。並大抵の事ではなさそうです。

2010.5.6