BLOSSOM通信

母が教えてくれたこと

5月の末に、母が他界しました。
 
その前後の記憶がふっ飛ぶほど気が動転していたのですが・・・でも半面、想像以上に冷静にその現実を受け止める事も出来たように思っています。
 
おかげさまで、母が高齢で80歳を越えていた事。大きな手術のあと「3年もてば・・・」と言われながら7年頑張ってくれたこと。そしてここ数ヶ月は、素直に母に感謝の気持ちを言えていたこと。だから、『覚悟』も出来ていたのだと思います。
 
母が亡くなって、江原啓之の「人の死」について語っていたものをちょっと思い出しました。
『・・・しかし人は死を迎えるとき、苦しんでいるように見えても、スピリットは見た目ほどの苦しみを感じていないのです。
人が亡くなるとその家族が涙を流して悲しみます。しかしスピリチュアルワールドから迎えに来るスピリットたちは「おかえりなさい、よく頑張ったね!」と喜ぶといいます。・・・』
 
母の最後は容態が急変したので、母は丸一日酸素吸入器をくわえ、目を開ける事無く、一言も言葉にする事無く逝ってしまいましたが、穏やかな優しい顔でしたので、本当に母を大切に思う人たちが喜んで迎えに来てくれたのだろうと思います。
そして本当にただただ心臓の鼓動が減って・・・止まったのでした。
 
葬儀は『家族葬』で母の妹と弟、そして私たち家族で送りました。
おそらく、母がそれを望んでいたろうと、思います。
 
叔父や叔母は残された私たちに優しくて、母には生前の感謝ばかりを言うのです。
しかも叔父や叔母だって決して若くないのに(70歳代)、痛い足で、腰をさすりながらでも母のために駆けつけ、お線香をあげてくれるのです。
 
私は母一人子一人で、また私自身の生き方も我がまま放題で、まるで人の力を借りないで一人で生きてきたような顔をしていたのですが、母の葬儀を通して、母も私もそして子供たちも、温かい身内に心配され、守られている事を教えられました。
 
生前から、母には色々教えられました。
母が私を育てる事は、シングルマザーなどという言葉も認識も無いその時代では本当に大変だったと思います。
多感なときは少し恨んだこともあったけれど、必死に生んで育ててくれて・・・私は命をもらった事に感謝しています。
 
娘の私や孫への無償の愛情。そういえば、初孫を甘やかさないでと頼んだとき、「じゃあ、誰がこの可愛い孫を可愛がるのさ!甘やかしたところでほんの1年や2年でしょう!」と反論され、母は孫たちが成人しても甘やかし、いいえ可愛がり通しました。でもそのおかげで私の子供たちは優しさと思いやりをわかる子に育ったと思います。
アッパレばあちゃん!!です。(笑)
 
そして、最後の最後に、親戚のありがたさ、又、人と支えあう事の、当たり前の大切さを教えてくれたのでしょう。
 
今の私にすると、ちょっとムリをしている仏壇選びを横目で見た娘が、「そのうちにで、良いんじゃないの?今無理して揃えなくても!」と冷静に助言するのです。
「う~ん、ママね、おばあちゃんを暗い箱に閉じ込めっぱなしにするの、イヤなんだよね。おばあちゃんがしてくれた事考えたら、『いい所だね~』って言ってくれる仏壇や『いい音で、心が休まるね~』って言ってくれるリンくらいでも、揃えてあげたくてさ」
 
母の遺影は孫たちが選んだ写真です。どこかの商業施設の“スマイルコンテスト”のような、超笑顔です。
 
そんな母と最近はよく話をします。「私たち、幸せだねえ」と。
母が教えてくれた『幸せ』です。

2010.6.6