BLOSSOM通信

原点

私の生まれた町は、ノスタルジックな港町小樽です。
坂道と潮の匂いのする小樽が、今でも好きです。
 
そんな私の絶景お勧めポイントが、
札幌から塩谷を抜け余市へ向かう国道五号線の途中、忍路の坂道から見たこの海の青さと空の青さです。
エグ・ヴィヴというパン屋さんの辺りから見下ろす景色です。
気持ちが無になれる・・・そんな場所です。

 

この日も一緒に行った昔からの友人が、私の母のことを「良いお母さんだったね!」といつも言ってくれます。
「生んでもらってよかったね!感謝してるんでしょ!?」とも言われます。
 
実は、母を恨んではいないものの、感謝しているかと言うと・・・『?』というのが本音です。
 
私はこの友人はとても優しい気持ちの人だから、こんな事をいつも言うのだろうと思っていました。
 
「今までこうして頑張ってやってきているのは、お母さんの背中を見てたからだよね」
「あなたもさ、子ども二人抱えて、偉いとおもうよ~」って笑いながら、
「でもお母さんがあなたにそうしてくれたからだよね」と言います。
 
母を亡くして今、あらためて思い出しました。
母はいつも明るく、弱音を吐かず、私を女手一つで育てた人です。
 
昭和30年代・・・まだまだ母のような生き方をする女性は多くは無かった時代です。
 
それでも母は顔を上にあげて、前を見て、『生きる事』を考えていたのだと思います。
『どうしたら死なずに生きれるのだろうか』ではなく『どうしたら生きていけるのか』を考えていたのだと思います。
 
心臓の病気を告知され、手術の決断を強いられたとき、
そういえば母はこう言いました、もっと生きていたい」と。
「死にたくない」ではありませんでした。
母の命を延ばすことはできましたが、母の生きたい生き方を、もう少し真剣に考えてあげればよかった・・・・。
 
小樽の海を見ながら、母の顔がふと頭を過ぎり(よぎり)ました。
「あんたに生き方を教えたでしょ!!生きるために生きなきゃね!」って、笑っている母が見えたような気がします。
 
私が私で居る原点。・・・母。


2011.8.4