BLOSSOM通信

お盆の独り言

今年のお盆も早々にお坊さんがお参りに来てくれた。
 
お盆…
 
家のお寺が小樽にあったが、墓は秋田だと聞いていた。
だからつい最近までお墓参りはしたことがなかった。
 
ぎゅうぎゅうに混んだむせかえる暑さのバスに乗って、8月13日の夕方にお寺参りに行った。
坂を昇ったところにお寺はあり、急な石段を息を切らせて、祖母と叔母たちとお寺参りに行っていた。
 
戦争の…兵隊の帽子をかぶった遺影が、そのお寺にはたくさんあって、子どもの私にはとても恐ろしいものに思えた。
狭くて古いお寺に、お線香のむせかえる匂い・・・。私にとってお盆のお寺参りは、怪談のように気味が悪く怖かった。
 
今思えば、なんと罰当たりな事かと恥かしく思う。
 
そのお寺は建て替えられ、納骨堂もその際に祖父母の子どもたちが新しく買い換えたようだ。
祖父母が眠るそのお寺に、最近まで母と一緒にお参りに行っていた。
 
長女の母を頭に9人の子供がいたが、だんだん減っていくのは、やむ追えない年月の流れがある。
 
私の家には仏壇が無かった。
父は死んだと聞かされていたが、仏壇も、お寺もお墓もなかった。
不思議に思って母に聞いたら、
「仏壇はずっと一生守って行かなきゃならないから、持たない方がいいの」と言われた気がする。
亡くなった人を守るのって、大変なのかと…ただ、そう思った。
 
祖父母のお骨は、ずっとお寺にあったが、長男が見ていたらしい。その長男が亡くなった時は当然祖父母と一緒に納められたのだろう。
 
そのあと、生涯独身だった一番下の叔父が亡くなった。
叔父は長男の家にとっては他人だからと、そのお寺には入れてもらえなかったらしい。
そして、残った兄弟の1人が、祖父母と叔父のためにお墓をたてた。
 
今、祖父母と叔父と、そして私の母が、その墓で身を寄せ合って過ごしている。
さわやかな風の吹く、心が落ち着く場所だ。
 
母は名字が祖父母と同じだったので、そのお墓に入れてもらえた。
叔父や叔母が、「姉さんなら!」と言ってくれた。
 
私にはお寺も、お墓も無かったから、とても助かった。
 
そう、私にはお寺もお墓も無かった。
母が亡くなって、“あせった!”。
冠婚葬祭の積み立てをしていたので、葬儀の手配の中で、お坊さんをお願いできたが、なんとも貸衣装以上の違和感を感じた。
 
 
たまたまお墓に納骨する際にお願い出来たお坊さんがとても良い方で、そのあとずっとお世話になっている。
 
一見さんもいいところなのに、一周忌やお盆にはお参りに来て下さる。
そして、私の悩みまで聞いて、心にしみる話をしてくれる。
お盆は母と一緒に、この悟空和尚をお迎えする。
 
今、私には母の仏壇があり、亡くなった愛犬もいる。
私が生きている間は、見ていられるけれど、そのあとはどうしよう。
だからと言って、自分が見てあげたいという気持ちが有るのに、それを知らんふりはしたくない。
 
ま、有るがまま…なのかな。
 
『花、無心にして蝶を招き
 蝶、無心にして花に参ず  (良寛和尚)』
 

悟空和尚から、『無為』を教わる。