3月の平日の真昼間、“仕事をさぼって”ライブに出かけた。
チョーウケるんですけとぉ~!
しかも、チケットがお高いのだ。
売れっ子のシンガーでもなく、イケメンの若いアイドルでもなく、なのにチケットは安くなない。
その名は【問答ライブ】
自分と同世代の音楽観だから、
どこか青春を思い出させるメロディとリズム。
すぐに知ってるふりして口ずさめるほどの、わかりやすい曲。
いいねぇ、気取らずに済みそうだ。
そこにあふれる歌は【魔法のうた】
口ずさむだけで心が楽になれる魔法(セラピー)のうただ。
人それぞれの心や想いに届く部分は違うかもしれない。
みんな自分の想いで聞いているくせに、流れる涙は一緒だ。
私をそんなふうに素直にさせた歌。
「よく頑張ったね よく我慢したね
いつも涙こらえて 弱音を吐かず
よく頑張ったね よくあきらめずに
とてもすごかったね かっこよかったよ」
頑張ってないよ、当たり前のこと。でも・・・そうなの、突っ張ってきたんだよなぁ(涙)
「抱きしめて欲しかったね
好きだよって言ってほしくて
それでもいいよと 認めてほしかった
もう頑張らなくていいよ
もう我慢しなくていいよ
もう泣いてもいいよ 弱音吐いてもいいよ」
弱音吐けないと思ってた。弱音吐いたら負けだと言い聞かせてた。そうなんだ・・・(涙)
心屋仁之助さんの3時間ライブ。
初めてのナマ心屋への興味だけで、誘われるままに行ったけど、
まんまとセラピーされてしまった((笑)
しかも、心屋仁之助が歌う魔法の歌に!
そして、この日心屋仁之助が教えてくれたコトバ。
「チョー、ウケるんですけどぉ~」
うまくいかないときや、困ったときや、エッ?!みたいなときに言ってみよう!
「チョー、ウケるんですけどぉ~」
自分も周囲も、思わず笑ってしまうよ、ってことでした(笑)
人には、隠しておきたいことや、言ってはいけないと思っていることが多い。
気づかないように封印してしまっているつもりのことも多い。
忘れてしまっていたり、終わらせてしまったつもりでも、実は心の奥のどこかでグチグチしている。
だからちょっと触れられると、ものすごく痛みが走り、辛くて息もできなくなることがある。
先日あるセラピストさんに、私の幼いころをリーディングしてもらう機会があった。
母が私を宿し出産し…どんな思いだったのか聞いてみたかった。
そのリーディングによると、
1歳になるかならないかの幼い私が、母の背中を見て
「自分が生まれてきたことで母親が幸せと思えるように生きなくては・・・」と誓っていたのだそうだ。
私は父親の顔を知らない。
それは私の大きく深い心の傷だと思っていた。
だから自分でも触れないよう、考えないよう、悲しまないように、見ないふりして忘れたふりして、半世紀以上も生きてきた。
「チョー、ウケるんですけどぉ~」と言えたらよかったのかもしれない。
そして心と頭の片隅に
「自分が生まれてきたことで母親が幸せと思えるように生きなくては・・・」
と思ってきたような気がしていたが、
私の心と頭のど真ん中に、その思いはあった。
だからずっと母と離れず生きてきた。
だから最後の最後まで、母に対する娘としての責任感で、看取りもした。
だけど・・・何だったんだろう、その気負いは。
最後の最後まで、どこか距離を感じていた。
母に対して、子供の自分も、少女の自分も、大人になった自分も、たくさんの疑問と不安があったのに、何一つ聞けなかった。聞かなかった。
母を思い遣っているふりして、自分の気持ちを隠して我慢していることが“いい子”だと思いたかったのかもしれない。
だから私はいつもさみしくて悲しかった・・・。
素直じゃなかったからかな?今頃気が付く。
結局いつの間にか、すべてに素直じゃない自分になってしまっていた。
「よく頑張ったね よく我慢したね
いつも涙こらえて 弱音を吐かず
よく頑張ったね よくあきらめずに
とてもすごかったね かっこよかったよ
抱きしめて欲しかったね
好きだよって言ってほしくて
それでもいいよと 認めてほしかった
もう頑張らなくていいよ
もう我慢しなくていいよ
もう泣いてもいいよ 弱音吐いてもいいよ」【心屋仁之助 〈頑張ったね〉より】
沁みるなあ・・・。
3月3日。母の誕生日。
母が私に買ってくれた50年も前のひな人形を前に、母の想いと自分の想いを重ねてみた。
ヘンに気を使いすぎて、不器用な母娘・・・だったな。
仏壇の母が、笑った。