ここ数日、経歴詐称が明らかになった経営コンサルタントのショーン・マクアードル川上氏のニュースでにぎやかだった。
私は彼が好きだった。
華があり、国籍不明のミステリアスなところがメディアを通してみている分には面白かった。
経歴詐称が明らかになり、「大卒じゃなかったんだ」と思うが、外国の大学を卒業することがそんなに素晴らしいことでもないと思う。
彼のオフィスもニュースで見たが「あら、私のオフィスの方がまだ大きいじゃん」と思ったが、別にオフィスの大きさが大事な事でもない。
経営コンサルタントのショーン・マクアードル川上氏が本当に、自分の理念を持ち誠意をもってコンサルタントをしていたという『実態』があったのなら、中卒でも、オフィスがなくても問題ではないと思う。
私も仕事をしていて思うが、
『今の本人』以上に「過去の経歴」が問われたり、評価されることの、なんと多いことか。
しかもその内容より、看板と言うか表面の部分が重視される。
私も
「前職はCAですよね?」
「どちらの大学ですか?」
しまいには「ご家族は何を?」まで聞かれたことがある。
あまりに同じ問いが繰り返されるので、
『そういう人じゃないと、講師として認められないのかも…』と卑屈になりそうになったことも実際に経験した。
でも、そんなうわべに、多くの人が惑わされているのが、今の社会なのだ。
あるいは、うわべを繕えばやっていける、評価をもらえるのが、今の社会の一面だ。
勿論、うわべだけでは、今回のようにすぐにペンキははがれてしまうにきまっている。
所詮、張りぼては張りぼてなのではないか。
今回の報道が出る以前から、私は、最近は憤りさえ感じていた。
私は講師を仕事にしている。
職業柄か、SNSなどで嫌なセミナーが目にはいる。
「誰でも人気講師になる方法」とか「誰でもセミナー会場が満席になるプロフィールの作り方」とか、なんだか中身(その人の想いや経験)よりも上っ面を繕うことを良しとしているような気がしてならない。
自分を過小評価するのは、確かに良くない。
自分を過大評価するのは、もっと良くない。
その過大評価が、本当に目に余るほどのことが多いのだ。
真実はどこ?本音はどこ?
私の周りの講師にも、素晴らしいプロフィールの講師がいる。
そこまで作りあげると、さすがとしか言いようがない気もする。
でも、『それはないだろう!ウソだろう!』と指をさしている人がいるかもしれない。
私もその一人。
年令や経験が若ければ、正直『講師です!』と名乗ってやっていくには結構な時間がかかる。
それを承知しておくべきだ。
自分の力を認め評価するのは、残念ながら自分ではなく他人だ。
じゃあ、評価されるまではどうしたらいいのか?
自分の想いを伝えていくしかないのだ。
そうして何度も何度も口にして伝えているうちに、自分の気持も整理されまとまり、言っている事とやっていることがつながってくる。
その時から、他人からの評価が伴ってくるのだ。
少なくとも私はそう思い、そう考えやってきた。
ローマは一日にしてならず、だ。
松下幸之助は大卒ではない。
大金持ちの子どもでもない。
でも経営の神様といわれ、多くの経営者やビジネスパーソンに大きな影響を与える人物だ。
「日本中のお母さんの家事を少しでも楽にしてあげたい」そんな強い彼の思いが、年月を経て、実現化していくのだ。
私たちの周りには、そんな、中身・人間としての生き様や考え方や精神が、素晴らしい人がたくさんいる。
どうせなら、そっちを目指そう、そう思う人が一人でも増えることを期待したい、
世の中は一期一会ではないと思う。
どこかで「また」というご縁が必ずつながっている。
特に弱みを握られているような人には、会いたくない時もあってしまう。
その「また」という時に堂々と人に向きあえることが大事だ。
弱みを克服し成長した過程をみせたい。
そんな自分になることが大事だと思う。
経歴詐称が明らかになった経営コンサルタントのショーン・マクアードル川上氏だが、そうせざる負えなかった何かやむにやまれぬ事情がったのなら、私は彼を許すことができる。
でも、もし悪意が潜んでいたのなら、初めからウソをついていた自覚があるのなら…。
悲しすぎる人だと思う。
2016.3.18