「あなたは何歳まで生きますか?」
私の教えているTAのなかで、質問します。
何歳まで生きるか…生きようとするエネルギーとリンクすると考えます。
だから、「50歳まで」より「80歳まで」の回答が、生きようとするエネルギーが高い、と伝えています。
これを教わった時、
死ぬ時を考えて生きるよりは、生き続けることを考え、生きるために生きる方が、確かに良い、と賛同しました。
『死にたい』という気持ちは、今の私には理解しがたいし、もらった命を大事にすべきだと思ったからです。
そして、先週のNHKの朝ドラ『マッサン』は戦争に行かなければならない息子・弟・恋人を送る内容でした。
週末になるにつれて、熱い思いがこみ上げ、土曜の朝は15分間泣きっぱなしでした(笑)
若い頃の私は、もちろん戦争も知らないし、「お国のために死ぬ」と高らかに言える心境を理解できるはずがありませんでした。
「ばっかじゃないの~」、そう思っていました。
それを覆す、『マッサン』の一週間でした。
誰も、人を死なせたくはないのです。
できれば生きて欲しい。生かしてやりたいのです。
でも、「死に行く」ことを覚悟しなければならない人を目の前にして、本音をいうと、互いの覚悟を揺るがしてしまうことが痛いほどわかっているから、…。
互いにツライのですが、そのつらさの中に、「死に行く」人の何とも言えない強いエネルギーを感じてしまいました。
いえいえ、死ぬことを絶賛しているのではありません。
無駄に生きるのではなく、充足感を持って生きなければ、と改めて感じたのです。
『80歳まで生きたい』思う事がエネルギーではなく、
『やりたいことがたくさんあるから、そう簡単には死ねない』というのが、生きるエネルギーなのだと、改めて感じました。
この時期、私は『自殺を予防するメンタルヘルスの講話』をさせていただく機会があります。
寿命が延びている現代、自分の命も永遠に続くような錯覚を持ちますが、決してそうではありません。
永遠に続くような錯覚をしてしまうと、「この辺でもういいかなぁ」と考えたくなるのかもしれません。
でも実際は、人に与えられた時間は、人が勝手に管理できるものではありません。
人が何歳まで生きることが出来るか、なんて、誰にもわかっていないのです。
寿命が延びたから、だらだら生きていい、のではなく、時間を多く使える分、有意義に使うことをする権利を得たと考えたいものです。
別の見方をすれば、良い死に方をするために今をどう生きるか、が重要かもしれません。
人は生まれるとき、母親の狭い産道を通ってやっとの思いで生まれてきます。
大泣きしている赤ちゃんを、家族は笑顔と幸福感で迎えます。
そして、
人が死を迎えた時、理由はどうあれ、周囲は悲しみの涙を流すことになるでしょう。
だからこそ死にゆく人は“いい死に顔” 柔らかい満たされた表情を遺族に残さなければなりません。
その表情が、大切な家族への最後の贈り物だからです。
先日、神奈川で暮らす息子に、出張で行くので会いたい。母は余命1か月もないと言いました。
この10年くらい、息子と合うのは年に2回程度、しかも食事をする3時間程度です。
年二回×3時間×30年(私の平均余命)÷24時間=7.5日
もし、何の努力も意識もしなければ、私は自分の息子と、正味1週間しか、顔を見て話すことが出来ないのです(笑)
でもこれはあくまで私が元気で80歳まで生きてのこと。
今回は母の切なる訴えは息子に受け入れてもらえませんでしたが、私はもっともっと家族との時間を持とうと思っています。
あなたは何歳まで生きますか?
その間に、何を、どんなことにあなたの“生きている”と感じる時間を使いたいと思いますか?2015.3.9
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