BLOSSOM通信

至れり尽くせり

社員研修の講師歴は20年を超えました。

時代の変化?

2022年の新入社員研修も概ね終わり、今月はあと1回を残しています。

昔は「先生」と呼ばれるのが普通でしたが、最近は「講師の〇〇さん」と呼ばれることが増えたかな・・・と感じます。

リスペクトされなくなっている現状を感じます。

まあ、誰もが「講師」や「先生」になれる時代という背景もあるのかもしれません。

「先生」と呼ばれると、知識のインプットにも貪欲にならざるを得ませんが、「講師」というのは・・・少々モチベーションが下がるのは贅沢なことなのでしょうか。

そして、それによって、「受講生」が「参加者」になってきていることも、強く感じています。

「参加者が〇〇と言っているので、それはやらないで欲しい」

そのような要望を聞くと、参加者という「お客様」なのだということなのだと、改めて感じます。

参加者が嫌がっているので、個別で回答を求めるのはやめて欲しい。

参加者がホワイトボードが見えない(遠くて)と言っているので板書はやめて欲しい。

委託された研修の講師の場合は、反論を唱えるわけにはいかないのです。

返事は「はい、かしこまりました」です(笑)

コロナもあり、予定していた研修の組み立てが、その場で変更せざるを得ないことも多いです。対面を予定していたがオンラインになった、等です。

グループ討議やロールプレイングも禁止されることも、もちろんあります。

研修は「講義」がベースですが、研修の目的である【わかる➡できる】にしていくためには、グループで意見を交わすことや、実際にやってみるロールプレイングの役割も欠かせないものです。

正直、講師として、規制があまりに多いと、研修をやる意味に疑問を感じてしまうことがあります。

アメリカで感心したこと

米国カリフォルニアでセミナーを受講したことがあります。

3月なのに、会場はガンガン冷房が効いていて、複数の日本人の仲間はその寒さに震えるほどでした。そして、簡単な話、『冷房を切ろう!』ということに(笑)

その結末は「会場の環境設定は参加する皆さんのためのものでは無く、セミナー講師がベストにパフォーマンスをするためのものです!」と言われ、結局冷房スイッチオンで、我々はダウンジャケットを着こんで受講しました。

確かに、勉強したくて受講させてもらっているわけだから、その環境に合わせるのは受講する側なのだろうと、納得したものです。

妥協は人のためならず

私自身も会場や机の配置や機材等、お願いしたことが叶わなくても『まあ仕方ないなあ』と自分が我慢をして、自分が合わせて研修を実施したことがありますが、確かに十分なパフォーマンスの発揮は難しかったという経験があります。

妥協はよろしくない、と痛いほど経験しました。

なぜなら、相手を思って妥協すると、研修の評価が良くなることはなく、逆にマイナスになってしまうからです。

もちろん、私の能力が不足しているのかもしれません。弘法は筆を選ばす・・・とはならないのです。

近年の違和感

この数年、参加者というお客様の為に、至れり尽くせりもいいところです。

「会場が広くて、板書が見えない」・・・ならば、休憩時間に近くまで来て写メをとるくらいのことをすればいい。

私の研修は、話していることを板書する程度の板書。講義を聞いていれば板書は想像がつくはず。それでも気になるなら、その時に「見えません」と言えばいい。

そうそう、「昼食のお弁当の量が多すぎる」・・・という感想(評価)もありました。いやいや、自分にとって量が多いなら残せばいい。

会場の温度やコート掛けのあるなし、そんなことも感想になる時代です。

ちょっと工夫すればよいことなのに・・・と思ってしまう私が時代錯誤なのでしょうか。

研修の担当者がずらっと並び、参加者を迎えます。最初も最後も。

挨拶は研修の主催者側です。参加する方は、無言で着席です。

な~んか違うなぁ。

新入社員研修ではビジネスマナーを教えるのですが・・・。

「時代」と笑うことができない現実だと感じています。