BLOSSOM通信

雛人形と親の想い

今年は今日、「ひな祭り休暇」をとった。
雛人形を飾るために、時間を取りたいと思った。
 
私の雛人形は、小学2年生のころに買ってもらったという記憶がある。
何だか一大イベントで、親戚も集まった。
着物を着せられ、気取って写真も撮った。
 
そして、
私の中では、嫁に行く娘に受け継いでいくものが雛人形だと思っていたが、娘には住宅事情もあるせいか、7段飾りの雛人形はいまだに私の手元にある。
 
豪華に思える雛人形だが、実際飾るとなると、面倒くささが先に立つ。
母も亡くなり、娘もいなくなり、
この雛人形が、正直だんだん邪魔になってきた。
一部屋を平気で占拠するし、なにせ昔の様式で、7段を組み立てるのも容易ではない。
 
ここ数年は、3月に入って仕方なく組み立て、そして、3日がおわるとそそくさと片づける。
心のどこかでは、母や雛人形に「ごめんね・・・」と言いつつ。
 
小学校2年の私に雛人形を買ってくれたのは、母だ。
女手独りで育ててくれていた、母だ。
私がすごく欲しがっていたわけではなかった。
雛人形は当時そこそこ贅沢品で、誰もが持っていたわけでもない。
 
きっと、母が『なんとしても』私のために買いたかったのではないだろうか。そう思う。
 
「雛人形は女の子の厄を代わりにしょってくれる」と、母がよくそんなことを言っていた。
「嫁入り道具」だとも言っていた。
「だから、大事にしなさい」と言われた。
 
いくらわが娘が大事でも、娘は嫁に行き、必ず親の手元を離れていく日が来る。
嫁に出すということは、手を掛けてやれない、他人の家の人間になるということだ。
親は、手元を離れた娘を心配し、その愛情を雛人形に託したのかもしれない。
「私の代わりに、この子を守って」と・・・。
 
なんだか切ない・・・。
でも、何だか守られている気がする・・・。
 
母が亡くなり数年経つが、今年はなんだか母がまだソコにいる様な気がした。
「あんたがいくつになっても、こうして、守ってるからね」とそんな顔が見える気がした。

 
そして、母と話がしたくって、今年は雛人形を飾るために休みを取った。
 
「決して生活が楽でも無かったろうに、なんで雛人形なんて、見栄張ったの?
どうして、まだ、私の手元にあるんだろうね?」と聞いてみたかった。
 

「生活がラクじゃなかったから、どうしても1人娘のあんたに買ってやりたかった。
父親も居ない娘を笑顔にしたくて、買ってやりたかった。
いいや、親は母さんだけだと、あんたに認めさせたかったのかな。
 
それに、頼りなげな、おとなしくて引っ込み思案の娘だから、守ってやらなきゃ、ずっと・・・。
やっぱり、まだ、あんたのお雛様なんでしょう。
母さんは、そうだってわかってたんだよね。
そして、あんたが1人で頑張ることも、分かってたんだよね。
 
大丈夫、いつだってこうして守ってくれるものが、そして身代りになってでも助けてくれるものがあるんだから!大丈夫!
永遠にはそばにいてあげられないけど、母さんはいつだって、子供が心配で、守ってるんだよ。
そして、あんたのためにだけ選んだこの人形は、母さんの思いも込めて、あんたをずっと守っているんだからね。」
 
 
穏やかな雛人形を飾りながら母と話した。
 
3月3日は、母の誕生日でもある。
これからも毎年お祝いしようね。

ありがと、この年齢になって、やっと少しずつあなたの生きざまが見えてきています。