BLOSSOM通信

私の“昭和”

映画『コクリコ坂から』をみて、かなり“昭和”を懐かしんでしまった。
 
舞台になっている横浜が、私の生まれ故郷小樽と雰囲気が似ていることや、
坂本九の歌う『上を向いて歩こう』が、なんともいい!
“昭和を”というより、“私の叔父を”そこにダブらせて見ていた。
 
私の叔父は長女である母の末っ子の弟で、私とちょうど一回り年が違った。
おそらく、私は2,3歳から祖父母の家で過ごしたので、当時中学生になりたての叔父は、兄のような感覚で私のそばに居てくれたのかもしれない。
 
それから私が12歳まで、叔父と一緒の家で暮らした。
だけど、親しく仲良く話しをしたりじゃれあったりした記憶が、実は無い。
 
それでも、叔父は、高校の修学旅行に京都に行けば、舞妓さんのついた可愛いお土産を小さい私のためにたくさん買ってきてくれた。
 
そんな叔父の記憶は・・・・
多分、叔父が高校の3年生くらいだったと思う。
叔父は、兄妹の中で一番“頭がよく”、家から近い小樽桜陽高校に通っていた。
家はこの学校のすぐ下にあったので、陽気で明るい叔父の男友達が、よく学校の帰りに寄っていた。
5歳くらいの小さな私は、大きなオトコくさい、高校生が正直苦手だった。
 
冬も近いある日、叔父は可愛いお姉さんを連れて帰ってきた事がある。
私の母と同じ名前だったこともあり、記憶が鮮明にある。
きっと、『コクリコ坂から』の、あの主人公の二人と同じような時代と、年齢だったと思う。
 
叔父は私をダシにしていたので、私は何回かその女子高生宛に手紙も書かされた。
純粋な初恋だったんだろうなあ・・・。
 
でもなぜか、ハッピィエンドではなく、あっという間に終止符がうたれた。
 
親の猛反対だったと思う。こちらの親なのか、彼女の親なのか、その頃の私にははっきり分からないが、とにかく猛反対された叔父が、血の気の引いた血相で、周囲の静止も聞かず大きな音をたてて家を飛び出していった辛そうな歪んだ顔と泣いていた背中が目に焼きついている。今でも・・・。
 
私は、分けもわからず、ただただ心臓がどきどきして泣いていた。
 
叔父は、後わすかで卒業というのに、その日を堺に高校を辞めた。
周囲と自分を遮断し、間もなく、気がおかしくなった。
 
(当時はそう思ったが、今で言うストレスによるうつ状態だったと思う。
“うつ”なんて病名が無く“精神病”と叔父の兄妹たちが言っていた。)
 
その後、当たり前だが回復にかなりの時間がかかり、
結局、叔父は学歴も半端で、正社員として企業で仕事をすることも一生涯無かった。
 
生涯独身。
それでも本だけはよく読んでいて、叔父の部屋には、その後難しそうな哲学書があふれていた。
30代になると健康も害し、祖父母が他界してからは、生活保護をもらいながらひっそりと息を潜めるようにひとりで生活をしていた。
 
『コクリコ坂から』って、純粋だなあ・・・と思ったら、そんな叔父の事で頭が一杯になってしまった。
 
叔父は、私を可愛がった。妹のように。
でも私は、最後の最後まで、叔父に対し人見知りしていたところがある。
叔父は、からだが大きかったので、正直、それだけで怖かった。
 
私が3歳で、母と祖父母の家で住むようになったとき、私は母と二人きりだった。
父親もいなければ、母は夜の仕事をしていたため、私は夜一人で寝なければならない。
昭和30年代、小樽という小さな町で、そうそう当たり前の状況ではないのは、叔父もわかっていたのではないのだろうか。
私は、周りからとても気を使われて育った。『かわいそう・・・』的な、感じで。
しかも誰も真実を確かめる事も出来ない雰囲気だったようだ。
叔父だって幼かったけど、そんな私を、一番“不思議な生き物”でそして“かわいそうだ”と思っていたのだと思う。
 
そんな叔父とは、当たり前だが私がオトナになるにつれて距離ができていった。
 
やっと4~5年前、私の子供も成長し家を出て行き母も病院から出れないことが決まった時、叔父の病気が悪化し一人で生活するのが大変になってきていると聞いた。
叔父を引き取って、一緒に暮らそうか・・・そう考えていた。
 
そう考えていたとき、仕事帰りの車を運転しているとき、すごい胸騒ぎがした。
母が亡くなったかと思ったほどだ。
 
実は・・・叔父が息を引き取っていた。たった一人で、一週間も発見されず、孤独死だった。
葬儀も戒名も無く、雪の降る日の、叔父の最後の顔は・・・それでも安らかに見えた。
 
『コクリコ坂から』というきれいな映画と重ねるようなステキな思い出ではなかった。
でもあの登場人物たちのように、純粋な気持ちを持った叔父と、我慢が当たり前のように必要だった切ない時代と、そしてあの『上を向いて歩こう』の唄が、私の昭和と言う時代と叔父の一生だったかもしれない。
叔父は涙がこぼれないように、いつも頑張って顔を上げていたのかもしれない。
上を見たって、何も無いのに、ただただ、涙をこぼさないように・・・・
せ・つ・な・い
叔父の『生きてる』ってなんだったのだろうと、そう想いをはせてみると眠れなくなった。
 
今はいい時代だ。
切なくはない。上を上を、って見てきた。
涙をこぼさないためにではなく、自分の夢を叶えるために。
 
なんか・・・、眠れない夜の、独り言。
2013.1.13