BLOSSOM通信

最近・・・気になる・・・『土下座』

巷では、阿部サダヲの「謝罪の神様」という映画が話題を呼んでいるようですね。
テレビでも、「半澤直樹」の中では、謝罪というか、土下座のシーンがありました。
札幌市内でも、全国チェーンのお店での土下座事件があり、かなり話題になったとか。
 
そんな中、「土下座」について、お問合せを頂きました。
 
土下座は、礼儀(お辞儀)で言うと、一番深く丁寧な心を込めた礼と言えるのかもしれません。
私は、ビジネスマナーを教えていますが、国際マナーの中にも私の教えるビジネスマナーの中にも、『土下座』はありません。
(欧米では、いつも靴を履いていますので、床に座り込むのはありません)
 
敬礼という45度の深々としたお辞儀が、感謝も謝罪もきちんと伝えることが出来ると教えます。
そして上半身の角度よりも、上半身を折った低い位置での静止の時間で、丁寧さや心情を表すと教えています。
 
『土下座』と聞くと、何とも芝居がかっているように感じてしまいます。
本来、江戸から明治・大正期までの日本人は、地べたに座ったりしゃがんだりする動作をすべて土下座と言っていました。
地べたにあぐらをかいて座るのも、いわゆるうんこ座りもすべて土下座だったのだそうです。
ということは、そもそも、土下座に謝罪のイメージはなかったということでしょう。
 
『土下座』をするのは、誠意では伝わらない相手に、早く決着をつけてその場を収めたいという気持ちが働くのかもしれません。
土下座をした、床に就きそうな顔面は、本当に真摯な表情なのでしょうか・・・
 
『土下座』をさせるのは、優越感・威嚇等、勝ち誇った事実を自分はもちろん、相手にも周囲にも見せつけたいからかもしれません。
 
通常、健全な精神を持っている人間同士であれば、気持ちのこもった反省の言葉と表情が伝われば、それ以上の何を謝罪に求めるでしょう?
責任賠償のようなものが存在ことも多々ありますが、それでも最終的には、いえ、一貫して「誠意が欲しい、誠意が伝われば・・・」と口にするのではないでしょうか。
 
感情や精神は、肉体と繋がっているので、感情があふれると必ず表情を始めあらゆる身体の部分に現れてきます。
謝罪はそれが、できれば、そして伝わってくると、そこで一件落着にしたいものですね。
 
問い合わせをうけた、と言いました。
北海道の大手企業の不祥事も毎日のようにメディアに流されているので、そういう謝罪時のマナーについてのコメントを求められているのかと思いました。
ですが、話が進むにつれて、土下座の仕方とマナーを知りたい、という話になってしまい、残念なことに私には、協力できなくなってしまいました。
(インターネットで調べたら、“土下座の作法”的な解説を見つけたので、そういうことが存在はするのでしょうけど・・・)
 
お辞儀のマナーは確かにあり、上半身の角度で、種類分けをしています。
どんな時に、どんな気持ちでその礼を使うか、を教えます。
私は、多少角度が違っても、気持ちがにじみ出るように、伝えます。
『土下座』は・・・私の中では存在させたくないですね。
 
心や人の感情より、情報で世の中が面白おかしく振り回されているようで、怖い・・・私だけでしょうか?
 
2013.9.27