私には娘がいる。
私の長女、私が22歳の時に生まれてくれた初めての子供でもある。
その年の1月17日も今日みたいに、穏やかな青空だった。
山羊座の子がいいなあ、と何となく決めていて、予定日まで待っていたら山羊座じゃなくなる・・・そんなことも考えていた。
自分のものとは思えない大きなおなかを見て、まだまだ若い私と夫は、親になっていく自覚なんてあったのだろうか。
でも、まじめな私は、「育児日記」をつけた。
誕生した2日目から4歳までの成長日記・・・と言っても、実は親としての“私の心の成長日記”がそこには広がる。
一人っ子で小さいことにかかわることもなかった私。
恐る恐る、触り、抱き上げ、“ママ”になっていく。
3日目の日記
「今日からママのベッドで半日一緒に過ごします。
抱くのもこわごわ。おっぱいもまだ思うように吸わせることができないの。
泣かれると、ママも一緒になきたくなっちゃう」
育児日記というか奮闘の日々が、そこにはある。
それでも、
『愛おしい』という気持ちを知ったのは、娘のおかげだ。
『守らなきゃ!守りたい!』という気持ちになれたのは、娘のおかげだ。
家族の気持ちが同じになるのは、大切な新しい命の誕生の時かもしれない。
そんなことを振り返れるようになったのも、娘のおかげだ。
娘の1歳の誕生日の日記
「1歳、おめでとう!
(中略)あなたは夜もよく眠る“いい子”ということになっているけど、
ほんとは抱いてなきゃ寝てくれないし、ぴーぴー泣き虫の甘えっ子ちゃんで、ママは嫌気がさしたことがあるくらい。
でもあなたのかわいい笑顔で、つらいことは全部消えてしまう。
(中略)優しく、笑顔の似合う娘に育ってくれますように」
本当に娘は優しい笑顔の似合う女性に成長してくれた。
誰かが前にこんなこと言ってくれたことがある。
「人は社会人になることで、成長する。
そして結婚して家庭を作り、親になることで、人らしくなっていく。
そう実感するでしょう?!」と。
親の生き方にはたくさんの影響を受けている自分がいる。
教えられたというより、親の人生は自分の基準と常識になっている。
自分の生き方の核と似ている。
娘からは、気持ちを教えられた気がする。
人として生きていく、柔軟で温かい気持ちを教えられた。
残念ながら、親の私の思い描いたような子供ではない。
そのギャップに腹がたったり、イライラしたり、悲しくなったり、がっかりしたり・・・正直自分の気持ちを落ち着かせ整理することは簡単ではない。
引き算で娘を見て、娘を責めたり、親である自分を責めたりもした。
でも、実際は親の私が思い描いていた以上の娘だ。
人には宿命があり、私と娘が母娘なのには、理由がある。
選ばれた私たちだからこそ、お互いに影響しあえることや、力になれることがある。
まだまだ、それが何なのははっきりとはつかめてはいないが、
この娘がいてくれて、私は幸せだと思えるのは確かだ。
娘の成長は、私の成長だと、つくづく想う。
私の大事な娘へ
中途半端な私という親の、娘に生まれてくれて、ありがとう!
私に、人の本当の優しさや温かさがあるとしたら、それはあなたのおかげです。
私は親としてあなたに何をしてあげただろう?
自分勝手な私は、あなたに、さみしい想いや、つらい想いや、悔しい想いをさせてしまっただけかもね。
でもね、
それでも、私はあなたが大事。今までも、今も、そしてこれからも。
自分を大事にしている人がいることが、あなたの安心につながるといいなあと願っています。
今日の誕生日も、きれいな澄んだ青空だね。
2016.1.17