あわただしく生活することに、優れているような錯覚を覚え、
忙しいことが、活気があり幸せのような気分にしてくれていたかも。
ただ目の前のことを、遅延なくこなすことがやりがいだと、勘違いしていたかったのかもしれません。
頭の中は、常に騒然としていて…
“じっくり見つめる・落ち着いて考える”ことから少し遠ざかっていたかもしれないと、
ふと考えてしまいました。
最近はカフェが多く、「喫茶店に行こうよ!」と言うと、年齢がばれてしまいそうです。
学生街の喫茶店なんて歌も流行っていたのに~と、それは既に“なつかしさ”なのでしょうか。
喫茶店で苦いコーヒーを飲むと、なんだかオトナの気分になり、ゆったりした気持ちになったことを思い出します。
あの喫茶店にいるときのゆったり感は、なんだったのでしょう。
先日、ソレン・ゴードハマー著の『シンプルライフ~世界のエグゼクティブに学ぶストレスフリーな働き方~』を読みました。
“集中できる能力”が一つのキーワード。
私たちは、自分の意識をついつい未来や過去に向けてしまい、足元の“今”を見失いがちです。
大事なことは、意識を“今ここ”に向けること。
何をしているかではなく、今、していることにどれだけ意識を向けられるかが『集中力』と言えます。
未来に意識を向けるとどんな気持ちになるか…。
それは「〇〇しよう」です。
ここには落とし穴があり「〇〇しようとすると、○○ができなくなる」ことがあることです。
今ここに意識を向けるとどうか…。
それは「〇〇する」です。
例えば、私はよくダイエットを試み、ダイエットに失敗します。
「そうだ、ダイエットしよう!」と数か月先の自分のほっそりした体型を頭に浮かべます。
そして、浮かべるだけなのです。
だから、「ダイエットしようとしたら、飲み会が続いて、ダイエットできなくなっちゃった~!」という言い訳をしています。私の体型はぽっちゃりのままです(笑)
「ダイエットする!ダイエットしている!」と意識を向けたら、たとえ飲み会があったとしても、暴飲暴食には歯止めをかけられる、という事です。
そして、禅語に「喫茶喫飯」、正式には「逢茶喫茶 逢飯喫飯(ほうさきっさ ほうはんきっぱん)」という言葉があります。
「お茶を飲む時はお茶を飲み、ご飯を食べる時はご飯を食べる」という意味だそうです。
とても当たり前なことのようですが、この「喫する」という部分が重要です。
ただ飲み、ただ食べるのではなく、目の前に用意されたお茶やご飯につまっている「いのち」やそこに込められた「思い」を感じていただくのです。
ちょっと重たい感じもしますが、目の前の出来事に集中して、それを楽しみ、堪能するという事です。
テレビを観ながら、またはパソコンに向かいながら等、「~ながら食べ」をしていると、食材の味も、料理の温度や香りも分からないまま食事を終えることがあります。
現代に生きる私たちに、欠けている事かもしれないと思いました。
スタバなどのカフェに行って周囲を見ると、そこに居る人々はスマホに見入っていたり、教科書を開いて勉強していたり、私はよく手帳を開いて仕事のことを考えます。
コーヒーの味は二の次だったかも。
たまには五感でゆったり感を味わいましょう。
少し薄暗くて、ソファが心地よく体を受け止めてくれて、コーヒーの芳香な香りが鼻をくすぐるような、そして舌の先で店主の入れてくれたコーヒーのほろ苦さを堪能する。
その目の前の時間に集中できる、古めかしい喫茶店…いいですねぇ。
2015.1.22