愛犬Kの3回目の輸血をしなければいけなくなった日、娘とお墓参りに来ました。
しっとりと
なみだを吸へる 砂の玉
なみだは重きものにしあるかな (啄木・一握の砂)
そういえば、母が「自分の好きな本だ」と言って、中学生の私に石川啄木の『一握の砂』を買ってくれたことがありました。
結構本好きだった母が、私に勧めて、買ってくれたのは啄木の本だけだったことを考えると、私に伝えたいことが、この本には記されていたのかもしれません。
いくらませていたとはいえ、その当時は、啄木の良さが分からなくて、『なんてつまんないのだろう…』と思ったものでした。
あらためて啄木歌集を引っ張り出し、私も、啄木の年齢をゆうに超えた現在(いま)になると、全ての歌に心が震えます。
そして今になって、啄木の人生の一部が、母の人生の一部に重なるように思えます。
母は、自分の人生を、結局最後まで娘の私にも話さなかったけれど、“重くのしかかる現実”の辛さやどうしようもない哀しさがあったのだと・・・。
哀しい私は、よけい、周囲の“哀しさ”に敏感になってしまいます。
今日は、6月並みの暖かさで、旭川は今日一日で桜が開花し、満開になったと、ニュースが伝えています。
母の墓も暖かい陽ざしに包まれ、なんだか・・・此処に来ると落ち着くのはなぜでしょう。
物言わぬ墓石が、全てを受け止めてくれるような気がします。
私を育ててくれた祖父母も、叔父も一緒にいるのだから、私の味方に違いありませんね。
愛犬Kは、輸血のもち(間隔)がだんだん短くなっています。
もちろん、願わくば輸血に頼るのではなく、本人(犬)の機能が頑張って血を作ってくれるようになること。
一か月半の闘病は、人間にしたら、何カ月・・・なのでしょう。
犬のくせに、がおった様子が、隠せなくなってきています。
彼なりに、きっとすっごく頑張っているのだと思います。
ご飯もたくさん食べてくれるし、ぺろぺろとキスもしてくれるし、家にいる時は、いつものように私を支えるように手の届くところにいてくれる・・・。
そんな頑張りも・・・なんだか見ていて哀しくなってしまうのです。
『もう今は、自分のことだけ考えていてもいいんだよ』って、言ってみるのですが・・・。
彼の今後の治療のこと等をあれこれ悩む私に、
病院長は「今何が一番良いのか、その都度“今”を考えていきましょう」と私の目を現実に向けてくれ、
「Kちゃんが、一番望むようにしてあげて!」と病院長の奥さんが、いつもいつも優しく、そして的確にアドバイスをくれます。
そして、私は母に、『この子が元気に生きられますように』と頼みました。
ゆえもなく 母に会いたく
此処に来ぬ
こころ傷(いた)みてたへがたき日に (盗作)
今日は一日(輸血が終わるまで)、娘が一緒に居てくれました。
だから、泣かずにすみました。
一人でいると、ネガティブな方へ、マイナスの方へと、心が動いてしまいます。
娘に感謝です。
愛犬を迎えに行くと、午後に亡くなったというぬいぐるみのようなワンちゃんをご家族の方がお迎えに来ていました。
昨夜は呼吸も辛そうだったのが、最後は、眠るように亡くなったのだそうです。
少し・・・よかった。
さて!次回は私の愛犬Kが『奇跡的に回復した!!』というお知らせをします!
新しき明日の来(きた)るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれど― (啄木 悲しき玩具)
君といた 月日のはかなさ尊さを
包むぬくもり 永遠(とわ)に続けと
2012.5.2