BLOSSOM通信

自由って何だろう?

「自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことを いう。」
と辞書にありました。

11月20日の朝、北海道標津町川北にある「根室管内さけ・ます増殖事業協会」のふ化場で、
生けすの周辺に大量のサケの死骸が捨てられていたという事件がありました。

ふ化場によると、死んでいたのは人工ふ化させるために飼育されていたメスのサケ200匹から300匹ほどで、
刃物のようなもので腹を割かれて、卵である筋子だけが取り出されていたという事件です。

モラルはどこに行ったんだろう、と悲しくなる事件です。
こんな事件が起きてしまうんですね。
取り出したいくらは何トンにもなるんだそうです。

自分のコト、というか目の前のことにしか考えが行かなくなる、ある意味盲目状態だとも言えます。
いくらは高く売れて、犯人は大金を手にしたのでしょう。
罪悪感はどれくらいあるのでしょう。

自分が欲しいいから、
自分の利益や儲けにしたいから、人のことはどうでもいい。
自分だけがよければそれでいい。
人の努力も、人の気持も、そんなのは関係ない。
そんなことでしょうか。

お腹を切り裂かれたメスの大量のサケが無残に捨てられていたのを想像すると、目を覆うほど、悲しくなります。

一つは、魚の気持として。
一つは、ふ化場の職員さんの気持として。
一つは、人間として、です。

生き物としての命の重さ。まして命を繋ぐその最中の出来事です。
それを十分に知りつくし、日々努力と苦労を重ね、期待値に向けて頑張っていた職員さんたちの想いが在ります。
人としての思いやりや優しさやあたたかさって何でしょう?

最近は、やっていいこと、悪いことの区別ができない人が多すぎる気がします。

それは時代が「個の時代」になってきたからかもしれません。
一人一人が自由に自分らしく生きられるいい時代です。

でも、
「自由」というのは、「勝手に」ではありません。
「自分らしく」というのは「人のことを考えずに」ということではありません。
どこかで、はき違っているのでは。

「自由」というのは、実は非常に難しい。

自由を手に入れるということは、束縛からの解放ですが、
束縛されているという支配下の状況は、
実はなんでも指示命令者の責任にでき、
自分は云われたことさえしていれば問題は無く、
また言われたことができなかったとしても、それは「相手の言い方が悪い」と文句を言えば済むことだってあるのです。
束縛という言葉は不自由さを感じさせますが、実はある意味非常に楽な、無責任な生き方できるという事です。

つまり、自由を手に入れるということは、自分の「自由」に全責任を負うという事。
それが自由です。

やっていいこと、悪いことを、しっかり自分で一致感を持って判断できることが、
自由の成せる技です。

なんだか、悲しい時代です。

私のような講師とか、セミナーのスピーカーを仕事にする人が増えています。
先日、悪質な起業家セミナーの摘発がありました。
自由に仕事をしたい若者がターゲット何でしょうね。
自由な仕事ほど大変で面倒で恐ろしいものはありません。
自分で起業していて、心底感じます。

これは余談ですが(笑)

さて、そんな悪質な起業家セミナーのような商売もありますが、
起業家というフリーランスになったセミナー講師たちの自己PRが本当に自由すぎると感じています。
なかなか自分のことは等身大、というよりは控えめに見てしまっているのが、今までの日本人。
だから、ちゃんと自分をアピールした方が良いということを、アメリカから学びました。
どんどん手をあげ、人よりも目立ち、ビックマウスで勝ち進んでいこう!…なんて、これもはきちがえですね。

その自信につながる知識や経験という「証拠」がしっかりあれば問題はありません。

でも、SNSなどを見ていると、まあまあ底上げもいい所、という人が多すぎ。

勿論、どんな職業も一人前になるまでは、人の目にも止まらないから、
何とか目に留まりたいと思い、自分のいいところをアピールをします。
必要な事だと思います。
でも、これは嘘では許されないはず。

いきなり
「〇〇で一番の講師!!」とか「もっとも〇〇な講師!」とか、驚き!聞いてないよ!という感じのことが、呆れるほどでるわ、でるわ。

悪徳の起業家セミナーではないかもしれませんが、
「集客するためのキャッチフレーズを教えます!」
「これであなたも日本一のセミナー講師!」というテーマの研修も少なくありません。

私のやっかみもあるとは自覚していますが・・・
何せ私は、「ああ今回は100点満点!!」というセミナーや研修ができたことが在りません。
勿論、120点取れるような内容は準備します。

でもね、実際には目の前にいる参加者が、セミナーや研修を評価するのです。

目の前にいる人数が多ければ多いほど、伝えきるのは難しくなります。

それが真理でもあります。

20年も講師をしていますが、札幌一という座も、容易ではないと思っています。

それが、その人のSNSやホームページでは、私以上の素晴らしい講師さんがたくさん。

何が北海道一なの?
何で日本一なの?

そこが表記されてないのが残念です。

是非、「日本一人を感動させられる人間力のある講師!!」になってくださいね。

さてさて、
自由という言葉だけが主張され一人歩きしている感があります。

「自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことを いう。」
と辞書にありました。
私の辞書には「そして全責任を持たなくてはならない」と書き足すことにします。