明けましておめでとうございます。
ゆっくり静かに元旦を過ごし、
某ホテルで購入したおせちを一人食べながら、いろいろ思い出したことがある。
小樽に住んでいた子供の頃は、祖父母と叔父叔母も一緒の年越しをしていた。
年末になると、市場にそりに乗って買い物に行った。
行きは祖父の引っ張るそりに乗れたが、帰りは上り坂の道を荷物を積んでそりを押した。
寒かったけど、面白かった。
クリスマスが終わるとコトコトと小豆がストーブの上で煮られ、ついにはあんこになる。
そして、お餅つきがあり、一年に一度、物置からうすと杵が登場し、玄関が餅つきの場所だった。
今なら、つきたてのお餅に興奮するが、あの頃は子供で、お餅よりお菓子のほうが興奮できた。
子供の私はできたお餅を隣近所におすそわけに持って行かされ、「あら、お利口ね」と言われ空になった器にお返しとしてのせられてくるキャラメルにわくわくしたものだ。
でも、そんな隣近所からもお餅がやってきた。
そして、翌日からは祖母のおせちづくりが始まっていく。
晩御飯が終える度、テレビを見ながら、ストーブのそばで、大根や人参やたくさんの野菜がきざまれていく。そしてなますができたり、旨煮ができたり、きんぴらができたり。
そんな過程を子供の私はふくよかな祖母の手元を見ながら、楽しんでいた。
黒豆も炊いていた。
うちは、クジラ汁(味噌)もあった。
子供の私にとってうれしい食べ物ではなかったが、祖母がこんなに大量に、こんなに時間をかけてしていることに、興味があった。
そして、それと並行するように、祖父がしめ縄と神棚の飾りを作る。
そう、昔はすべて手作りで、その工程を見ることができた。
お正月には『歳神様を迎える』というが、思い出の中には、その意味と光景が、うれしいことに残っている。
大みそかには家族が集い、一人一人盛られたお膳で年取りをした。
私は口取りが楽しみで、一人じめできる甘い海老や鯛を大事に、紅白歌合戦とゆく年くる年を見ながら食べた。
普通の家だったが、今振り返ると、しっかりお正月の儀式を重んじていたのだと思う。
自分が年齢を重ねてきたこともあり、
昔見ていた光景を思い出しては、風化していく寂しさがもったいないと思い始めている。
なつかしから、思い出なのかな。
一富士二鷹三茄子より、子供の頃のにぎやかな正月の風景を、初夢で見たい。