リタイヤした人が集まって、老後を考えたり、癒しを求めたり・・・というようなストーリーは、食わず嫌いだ。
なんだか、気持ちがネガティブになりそうで、敬遠してしまう。
自分にとって“現実”感が強くなってきているから、目を背けて抵抗したいのかもしれない。
人生100年の時代とは言え、常識的に考えて、100歳まで仕事ができ、現役バリバリとはいかない。
若い人たちがバリバリ中心となるビジネスの場面において、対等に新しい知識を習得し、時代にマッチしたアイデアを出していくことを考えると、通常の定年の年齢がギリギリなのかもしれない。
ただ、私も含めて本人はそうは思えず、いろいろ抵抗してしまいたくなるから、ムズカシイ(笑)。
コロナウイルスの、私の仕事に与える影響は大きいと感じている。
日本中が自粛しなければならなかった4月~5月は、もう、あきらめしかなく、給付金を頼って何も考えないようにしていた気がしている。
その後、若干動きだしてきたものの、やはり、そう簡単には元に戻るわけがない。
給付金は永遠ではなく、正直私の会社のようなごく小規模でも、間もなくジ・エンドだ。
この8月は、とても焦りの8月だった。
ビジネス書を読んでいても、逆に落ち着かなくなった。
気になることが次々に出てきたり、これからの時代にそれはマッチするのか不安が募ったりだ。
だから、いっそ仕事に関係のないことに気持ちと頭を向けようと思った。
ということで、テレビでドラマ化されていたことをきっかけに内館牧子の著書を読み漁ることにした。
「もう死ぬんだから」
「終わった人」
「必要のない人」などなど5冊も一気に本を購入。
気が付けば、私が避けていたネガティブワードばかりだ。
そして、主人公は下り坂に向かっている世代。
本当は「自分だけは違う!!」と言いたいのだが、
読み進めていくうちに、共感と納得しかなくなってくる。
下り坂の苛立ちや不安や悩みもわかるし、でもそうはいってもそれが現実だというのも沸かる。
結局は現実を踏まえ、じゃあどうする、ということなのかもしれない。
リタイヤすると景色が変わる、いや、坂が下りになっている時点で既に景色は変わっていた。
なのに、今までの上り坂ばかりを思い出して、今見えている景色をないがしろにしていることが多かった。
色恋の話ではないが、そんなオトナの悲哀が描かれている。
その時、リセットだけを提示されているわけでもないし、選択肢もリセットだけではない。
何に未練を持たず、何につなげていくか・・・そんな選択が大事なのだと考えた。
私は未練たらたらの人間で、何もかも抱え込むことが好きだ。
リセットというか、不要なものを見つけるのが嫌で辛い。
歩けなくなるくらい背負って抱えていたい。
でも、そう頑張れば頑張るほど、どこか不完全で苛立つことが多くなっていた。
そんな自分のおバカなところを,本の主人公たちと共に気が付くことができた。
私には緩やかな方向転換が必要そうだ。
負担に感じるもの、面白さを感じなくなったものを手放すことは、次の選択と決定のために必要なこと。
手放しても充実した時間と結果という経験がある。
その経験をどう形を変えて小さな新しい花を咲かせるかが、楽しそうだ。
株式会社ブロッサムは15年継続し商工会議所で表彰されるのが一つの目安だ。
たしか、来年の新年会がその時だと計算しているので楽しみにしている。
16年目(正確には17年目になるが)からは次のステージに立とう。
いつまで働くか・・・というより、いつまで自分らしい仕事ができるか、を大事にしたいと思う。
小説は、気が付けばあまり読まなくなっていた。
ビジネス書にはない、ストーリーに触れるのも、人として感情のリフレッシュと人生の見直しになったきがする。