「弔う」とは、亡くなった者を悼み見送るだけの行為ではないとある僧侶から聞いたことがあります。
亡くなった者と新たな関係を結び直すことでもある、と聞きました。
そのために葬儀を執り行い、たくさんの思い出話をすることで、悲しみ一辺倒の沈んだ気持ちから抜け出し、現実を受け入れることができるのかもしれません。
私的なことなのですが・・・
18年共に暮らしてきた愛犬が6月26日に亡くなりました。
独り暮らしの私にとっては、かけがえのない大切な大切な家族です。
おかげさまで大きな病気をすることも無く、とても元気に良い年の取り方をしてくれたと感謝してるほどです。
15歳でご長寿犬のお祝いをしてもらい、『まだまだ先輩が頑張ってるんだよ』という発見もあり、
17歳を過ぎたころは、“亡くなる”ということも遠いことではないと思い始め、
18歳になるとお世話になっている動物病院の先生が「この子の生きたいように、生きたいまでね」と言われて、『今』を大事に過ごしてきたつもり。
いろいろな覚悟はできていたのに、
涙だけは意に反して出てきてしまうものですね。
大往生だし、約束通りピンピンコロリだったし(笑)、・・・亡くなった後の顔は、本当にかわいかったし・・・。
今まで当たり前に存在していたものが、なくなってしまう心細さが、辛い。
世話をする、という愛情みたいな言動を、これから何に、誰に受け止めてもらおうか。
などと、気が付くと自分の事ばかり考えて、寂しがっている私がいます。
ありがたいことに、娘夫婦が、夜に逢いに来てくれて、夜更けまで、愛犬とみんなで過ごすことができました。
小さくて掌に乗ってしまうほどの大きさだった、初めて家に来た頃の事。
いつもお兄ちゃんわんこに対して威張っていた1歳の頃。
ボール遊びが大好きで、エンドレスで突き合わされた3歳の頃。
最後は後退できず、前進してしまい隙間に挟まってしまっていた18歳。
そして、私の膝の上で冷たくなっていった最後の時間。
・・・・
小さな1匹のわんこがくれた、愉快で幸せな思い出がたくさんありました。
今まで以上に「感謝」なのかな。
いいご縁をもらえたんだと、感謝かな。
この子のおかげで、わんこママとの交流も持てたし、
この子のおかげで、私は優しさを知ったかもしれない。
この子のおかげで、子供たちが巣立ち、母が亡くなった寂しさを感じずに済んだ。
ありがとうね。
虹の橋には、
お兄ちゃん(犬)も、もしかしたらおばあちゃん(母)も、待っているかもしれないね。
いい子だったから、きっとどこに行っても幸せでいれるよ。
いつかは必ず迎える人生のストーリーの最後が『死』
悲しいその出来事が、一緒に過ごした家族に暖かい気づきを与えてくれのだと思います。
だから、感謝して、さよならを言わなくちゃ、と思います。
今日だけ、泣き虫な私でいます。
うちの子をかわいがってくださった皆さま、ありがとうございました。