今朝のテレビ番組で、ボクサーの長谷川穂積さんの話題があった。
私はあまり“格闘技”が好きではない。勝手な思い込みだと分かっているが、なんだか、あそこまで自分を痛めつけるようにトレーニングを重ね試合に臨む姿が、痛々しく感じてしまうからだ。
そんな長谷川穂積のお母様が亡くなった話題がテレビに映っていた。
長谷川穂積が、最後のお母さんの誕生日に贈ったという、手紙の一説が、とても印象に残った。
『俺の一生懸命生きてる姿を見て欲しい』というような意味合いのものだったと思う。
お母さんは癌で、痛みや副作用との戦いは壮絶だったのだろうと容易に想像できる。
彼のファイトマネーは、抗がん剤の治療費にあてたと言う。だから負けられない試合ばかりだったという。
彼とお母さんとの愛情や絆が本当に温かく、なんだか朝からもらい泣きするような、内容だった。
そのお母さんへの励ましであり、穂積さん自身の生き方なのだろうが、『一生懸命生きる!』という言葉が、胸にどーんと来た。北の海の冬の波のように、荒々しく力強く感じた。
『一生懸命生きる』って、なかなか出来る事ではないような気がする。
今の時代、『適当』でも生きられそうだし、『無駄な労力は使わず』生きることも出来そうだ。
でも、良いなあ一生懸命って。
一生懸命生きてる長谷川穂積は目の輝き・・・というか鋭さが違う。顔の上げ方が違う。声の出し方が違う。
そんな風に感じた。
なんだか最近、私は一生懸命生きていただろうか。
自分の環境に文句をつけたり、他人や周囲からの影響を出来ない(しない)理由にしたりしていたように思う。
以前、ある研修中に板書した『一生懸命』に対して、年配の参加者から「先生、それは“一所懸命”がほんとですよ!」と注意をされた事がある。
一所懸命が転じて一生懸命になったともいわれるが、私は一生懸命がいい。
そんなふうに生きてみたい。
自分の生涯、力いっぱい、悔いを残さないように、歩いてみたい。
力いっぱい生きて、自分が転んでつけた傷は、時間が経てば治る。
でも、適当に生きていて人を傷つけたら、その傷は自分の心に移って、癒えるには時間がかかりそうだ。
私の中には、人につけられた傷も少なくない。
相手はどう感じているかわからないが、私にとっては、忘れない事で、傷跡を見ることで、頑張る理由にしてきたりもした。
でも、情けないことだったかもしれない。
もっと前向きに、人に愛を伝えるつもりで、一生懸命に生きないと!
29歳の長谷川穂積から学んだこと。今度の彼の試合は、一所懸命応援しようと思った。
2010.10.31