せめて一生に一度でも
わしが国さはお伊勢に遠い
お伊勢恋しや 参りたや (伊勢音頭)
ということで、名古屋開催のNLPセミナーに参加することをきっかけに、
人生初のお伊勢参りに行ってまいりました!
イマドキ用語で言うと“ヒーリングスポット”。
ざわめく気持ちが、すうぅぅっと静まって行く感じがします。
そんな私は、
天照大神の荒御魂(あらみたま)のお参りが、しっくりしました。
荒御魂(あらみたま)とは、積極的で活動的な神霊で、困った時に助けてくださるとか、長生きさせてくれる神様として信仰されているのだそうです。
お参りする際は、ただただお願いするのではなく、
『私も努力します!』と約束をしなくてはなりませんが…、
この時期まで私を、お宮で神様が待っていてくれたような気がします(笑)
『お伊勢参り』は外宮と内宮をお参りし、『おかげ参り』というのだそうです。
江戸の時代、お伊勢参りは、ほんとうに一生に一度のお伊勢参り。
かかる費用はもちろん、道中を安全に旅する事は多くの困難を伴うものだったとか。
そこまでしても行くのは、
このお伊勢参りには多くの出会い、新しい情報・文化や技術の学び、そして伊勢に出向く人々と、伊勢で迎える人々の心のふれあいがあったのですね。
「おかげさまで」と笑顔で感謝を伝えている、伊勢参りの人々の顔が見えるようですね。
そして、伊勢で迎える人たちも、“施業”を積むのです。
「してやった、やってあげた」と思うと苦になります。
させてもらったと思えば、修練を積んだことにもなります。
何かの手伝いをする機会があると思えると、それはありがたいこと。
おかげ参りは、
“人は多くの人に助けられ、そして支えられていることを知る”旅でもあったのですね。
私も、
内宮の五十鈴川のみたらしで心の汚れを清めることで、いままでめぐり合い、助けてもらった人たちに、感謝を言えた気がしています。届きますように…
何事のおはしますかは
知らねども
かたじけなさに涙こぼるる
(西行法師の歌)
2012.9.26