言葉が多すぎる
というより
言葉らしきものが多すぎる
というより
言葉と言えるほどのものがない
朝日新聞の【折々のことば】、詩人の茨木のり子さんの詩集からの抜粋とのこと。
確かになぁ・・・
半世紀以上生きてきて初めて聞くような難しい言葉を耳にすることが、そういえば、多い。
自分の教養のなさを痛感する一方で、とはいえ、知らなくてもいい言葉だったかも‥と思う。
ちょっと難しく言い換えただけの言葉が多いからだ。
池上彰さんのように、難しい言葉をわかりやすく言うのではなく、
わかりやすい言葉を敢えて難しく言う意図が、わからない。
言葉って【言霊】ともいう。
いい言葉は人の心を感動で震わせるし、その言葉を言う人の人間としての大きさや優しさで包み込まれるような感じがするものだ。
言葉は五感に染み入って、その情景やその時の感情が伝わってくるものだとも思う。
私が学んでいる心理は言葉を大事に扱うし、米国発祥のNLPも言葉の力を学ぶ。
感情という五感もあるから、言葉はより強力に人に伝わっていくのだと、心理を学ぶほど、再認識する。
そして、だからこそ、言葉を信じることができるのだとも思う。

最近よく耳にするのは・・・
「何十年に一度の・・・」とか「今までに経験したことの無い〇〇」・・・かな。
猛暑だったり、豪雨だったり、それらに伴う自然災害などに、つけられている。
それが恐ろしく大変で怖いことを言うのか、あるいは、とても珍しく貴重だということを言うのか・・・伝わってこない気がする。
なぜだろう・・・。
コロナの緊急事態宣言についても、「これを最後に・・・」のようなことをずっと言っているような。
本来は趣のある素晴らしい日本語。
それはその言葉に五感が震えるような魂があるからかもしれない。
言葉を、日本語を、大事にしたい、今だからこそ。