BLOSSOM通信

母の日参り

普段は、日曜日は99%仕事が入っているのに、連休明け初の日曜日の今日は、完全な休日。

まったく予定がない日だ。

 

なんとなく、本当に何となく

「あ、お墓参りに行こう」と思いついた。

 

滝野にあるお墓は、3月のお彼岸の時はまだ雪に埋もれていて、お参りができなかった。

そんなことまで調べてくれる娘が、「おばあちゃんのところに行かなくていいの?!」と気にしてくれる。

促されるように腰を上げるのが常だ。

でも、今日は、私が行きたかった。

娘を誘って、母娘3代の母の日。

お墓には、私の祖母も眠っている。

 

あとから知ったが『母の日参り』というらしい。

 

風は凄まじく強かったが、天候にも恵まれ、お墓に着くと、結構お参りに来ている人も多く、

娘と顔を見合わせて「へえ~、母の日だからかなぁ」と

ピンクのカーネーションを供えながら、話した。

 

毎朝晩、母とは話をしているので、お墓参りに行けなくても大丈夫、と思っている。

 

でも、なんでだろう?

今日は母が私に用事があったのかもしれない。

 

なぜか、

今年は小樽に行って、小樽公園や小樽商大近くを歩いてきた。

さんざん親戚のところに寄っても、そんなところに行く気さえ起きなかったのに。

 

足を運んでから、私の幼いころの、薄い記憶が少しずつつながっていく。

「よく小樽公園にカラスを見に(私をお世話してくれる人に)連れて行ってもらった」

「カラスを見ていると機嫌がよかった」

「窓のそばを通る学生さんを毎日見ていた」

と言っていた、私の記憶にはない、母の言葉をたどってみた。

小樽公園には、正直言った記憶がないのだが、公園にそびえ立つ大きな石を見たことがあるような気もした。

その石だけはもう何十年もまえから、そこにあって、よちよち歩きの私を知っているのではないかと思った。

 

カラスが好きな2歳児など、なんだか気味が悪い気もするが、確かに私は今でもカラスは好きだ。

カラスは夫婦仲が非常によいらしく、2羽単位で行動することが非常に多い。
そして林や森の中にネグラをつくり、群になって寝る。家族が単位なのだ。

そんな「カラス」を教えてもらっていた気がする。

父のいない私に、母は何を伝えたかったのだろうかと、ふと考えた。

 

私が3歳のころまで、母は喫茶店をしていた。

亡くなる数日前、その店が「ゆき(雪?)」という名前だったと教えてくれた(認知症のため本当かどうかはわからないが)

その店の窓のそばを通る学生を見ていた、というのはよく聞いていた。

小樽で学生さん、と言えば商大だろう。

3月の雪のまだ残る富岡から緑町を歩きながら、私はここで何を見ていたのだろうと思った。

どの辺にあったのだろう?

母は自分の若いころの話は一切してはくれなかったのだ。

 

そして急に思い立って、ルーツの秋田にも行ってみたくて、観桜を理由に東北も旅してきた。

祖父は秋田の人だ。

昭和の初めのあの時代東北から北海道に渡ってくるのは珍しくないこと。

でも私の知っている限り、祖父は生涯、たった一度しか秋田の実家には帰っていない。

故郷や親・兄弟を捨ててきたわけではないだろうに、疎遠になってしまうなんて、秋田はどれほど遠いところになるのかと思っていた。

 

そんな東北に行って、とっても心地よかった。。

 

母はホタテの貝殻で、卵味噌をよく作ってくれた。

味噌おでんやハタハタや、なんだかよく子供の頃に食べさせられた味と、出会ってきた。

祖父はもろこしが好物だった。

蓄音機で秋田音頭やドンパン節をかけて、訛りながら調子の外れたような歌を歌っていた。

 

そのせいか、私の口から、鼻歌のように勝手に歌詞とメロディーが出てくる。

 

そういえば、民謡酒場で津軽三味線を演奏してくれた男性が、祖父の骨格に似ていた。

四角い顔に、太い眉毛が優しそうで、武骨な感じ。とつとつと静かに喋る。

津軽の男は、こうなんだと、なんだかうれしくなった。

 

そんなことやあんなことを、きっと聞きたかったのかもしれない。

母ばかりではなく、祖父や祖母も聞きたかったのかもしれない。

だから呼ばれたのかな?

 

私の家族だったみんなの苦労や悲しみはわからなかったけれど、

でも、そんな風土や血で自分ができていることは、納得できた気がした。

そんな私の中の変化を聞きたかったのかな。

 

みんなの代わりにあちこちを見てきたよ。

いい時代にいい場所で、いい家族と過ごせてよかった。

 

それなら、これからの人生は感謝しながら生きていけ、と言われた気がした。

文句ばかり言わず、高望みせず、誰を責めることなく、ゆったり生きて行け、と言われた気がした。

 

朝からの強い風がふと止まった。

ホトトギスの下手な鳴き声が二度三度小さく聞こえてきた。

青い空が心地よい。

線香だけが黙々と時を刻むように煙をあげた。

 

お前は一人ではないよ、と励まされた気がする。

 

あ、この前、同じことを娘に言ったっけ。

 

それを言ってくれたかったのだ。

 

母の日参り。

 

「私の、長女の、長女の、長女なの!」

1歳の私の娘を抱いて、祖母が嬉しそうに言った言葉が聞こえた。

 

いい日、だった。

2016.5.8