BLOSSOM通信

普段見逃していることに気付くとき…

今日も暑い。

9月に入って、まず30度越えの真夏日だ。

私の事務所はクーラーがなく、暑い。

しかも今日は事務処理の日。

思い切って家で仕事をすることにした。

といっても、家にもクーラーはない。

 

でも、家中の窓を開け放つと、

暑いのは暑いが、風が吹き抜ける。

江戸風鈴が遠慮がちに音をたてる。

事務所より、幾分ましな気がする。

 

そして、今日は家でお昼ごはん。

家で昼食をとることは、お正月くらい(笑)。

大根おろしと梅を刻んでお蕎麦を食べる。

昨日の晩作ったササゲのきんぴらとだし巻き卵がおかず。

 

一人のお昼ごはんだが、歳のせいか、

誰と話すわけではないがいろいろ思い出す。

 

小学生の頃の夏休み。

小樽の町で、私は毎日、祖母と日中を過ごしていた。

 

そういえば、それほど「暑い!」とは感じていなかったかも。

平屋の古い一軒家には、結構日陰があって、ひんやりしているところもあった。

家の部屋部屋にある窓を全部開けると、風が勝手に通り抜けていった。

台所の水を張ったカメには、いつもきゅうりとトマトが浮いていた。

そしてお昼は決まってそうめんとかひやむぎとか冷たいめんで、

前の日の晩御飯の残りの煮つけみたいなおかずが出てきた。

緑の野菜の惣菜が多かった。

ちょうど今日のささげみたいな野菜を甘辛く味付けしていたような気がする。

もちろん、小学生の私にはあまりうれしくない献立だった。

 

そしてそのあと、祖母はごろんと転がり、うちわであおぎながら、夕飯の買い物の時間まで昼寝をしていた。

 

今日のお昼は50年前にタイムスリップしたような気分。

クーラーのきいたところで過ごすいつものランチタイムとは違う。

「あたりまえ」がいつの間にか変わってきているのに気が付く。

 

アスファルトの照り返しもなく、

家のあちこちに風の通る窓があり、

縁側に座ると、いい感じの日陰になったっけ。

板の間が気持ちよく、風鈴の音や蚊取り線香の匂いや、夏の涼しさを演出してくれるものがあった。

あ~、そんな時代もなんだか懐かしい。

 

生活が便利になり、都会的になり、かっこよく暮らせる。

その分、自然からは遠のいているということなのだろうか。

 

札幌の中心部にある私の事務所は、9階で窓が一か所のみ。

景色はよいが、外気に触れることはない。

窓をいくら開けても空気は動かない。

仕事ではパソコンをつけっぱなしで、その熱の放射で室温が上がる。

暑ければクーラーをつけろということか。

でも、クーラーの寒さは、寒さではなく冷たさのような気がする。

 

真夏の竹富島に行ったとき、

あの島にはクーラーなんてなかった。

家は平屋で、どの家も縁側の入り口も窓も開けっ放しだった。

そんな景色は、涼し気に見えた。

札幌の夏をはるかに超えた33度以上の温度。

じりじり陽ざしは強いが、軒先にかくれれば、そこのわずかな涼しさが幸せ気分にしてくれた。

 

風や日陰は、ある時はとても心地よい。

対比するものがあるとき、その心地よさが倍増する。

普段気にしないものが、素敵だと気付けるとき。

なんだか得をした気分になるものだ。

残暑お見舞い申し上げます。