これが私の故里(ふるさと)だ
さはやかに風も吹いてゐる
心置きなく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする
あヽ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
広大な海を前にすると、私の頭に中原中也のこの帰郷の一説が浮かぶ。
小学生の私は、夏休みはいつも塩谷の海で、日が暮れるまで居るのが好きだった。
にぎやかで楽しい“夏の海”なのに、
こども心に、それ以外の、厳しさや切なさを感じていたような気がする。
私にとっては、私一人の海。
向き合っているのは、海と私だった。
今、こんなに年をとっても、
海に行くと、「わあ、きれい」と言いつつ、微妙な…胸の締め付けられる感覚がある。
美しく厳しい、広大で計り知れない恐ろしさを持つのが、私の『海』だ。
優しいふりして人情なんてない、全く変わらないふりをして一瞬として同じときはないのが、私の知っている『海』だ。
「つらかったら、寂しかったら、泣けばいい。
涙はいくらでも受け止めて、その泣き声さえ消してやろう。
でも、泣くだけのことを、泣かなければならないことを、お前はしてきたのか?」
そう言われている気がしてしまう。
だからいつも泣けない。
何をしてきたんだろう、何かをしてきたと、自分が胸を張って言えるだろうか。
・・・・・・
夏の陽に輝く眩しい海に行き、「人生まだまだ!」そう思った。