親の歳になってみると、親の気持がわかるというが・・・
子どもが大きくなって、大人になって行くのは、頼もしく、“親である”という甲斐があった。
子どもが大人になりきってしまうと、世代のギャップ、というか、空気の違う世界に移ってしまったことを実感する。
私の母は、私の成長・・・子どもが若者になり、大人になり、肩肘張った大人になって行った様を、そばでどんな風に感じていたのだろう。
息子が結婚をした。
昨年の夏に、お嫁さんを連れて来て、「七夕に籍を入れるから」と。
そして、“オトコの責任”とやらで、「式と披露宴をすることに決めたから」と言われたのが半年前だったろうか。
しかも横浜という、離れた土地でのこと。
そして、親の私は「ふーん、わかったよ~」くらいの、気の無い返事をした気がする。
心配事は山ほどあった。
費用のこと、お嫁さんの親御さんのこと、結納や、挨拶や、息子の会社のこと…とめどなく出てくる。
『遠い』ことを言い訳に、私は、消極的だった。
息子に『すまない』ことをしてしまった。
振り返れば、してやりたいことを、何一つしてやれなかった。
息子は、死ぬほど働いて、費用を稼ぎ、披露宴をやり遂げた。
『どこかの、売れていない芸能人の結婚式か』、と思うほど、華やかで、派手なパーティだった。
悔しいが、また、親ばかもあるが、イマドキのカップルの息子夫婦は、・・・カッコいい。
やんちゃだった息子の学生時代の友人たちは、皆、目が輝いている若者になっていた。
札幌から駆けつけ、息子のことを、「いいやつなんです、すごく」と言った。
息子の会社の先輩や上司も、勢いを感じさせるオトコたちだ。
「すごくポジティブで、ひっぱられるんです」と言った。
お嫁さんのお母さんは、・・・息子が「しっかりしていて、助けられている」と言った。
おおっ、そんなに、大人になったんだぁ・・・
何一つ、式のことも披露宴のことも、相談も話しもなかった。
私は、札幌を立つ前日、布団に入って考えた・・・
『もし、新郎の親の挨拶、って言われてもいいように・・・』と。
出てくるのは、言いたいことは、・・・息子は、私の自慢だ。
息子として、部下として、人として。
小さい頃は・・・
でも大きくなって、大人になって、彼はどこに出ても人目を引くような、前向きさと優しさを持った青年になった。
そして、気づかないうちに、すっかり『大人の男』になっていた。
初めてもらった『おまけ付き』の手紙。
「これまでの30年間を結婚式というおまけつきで感謝の手紙にしました」とあった。
「これまでの人生を振り返られる年齢になりました」とあった。
親の私でさえ、まだまだ振り返れていない人生なのに・・・
それだけ、わがままで勝手気ままな母のせいで、父親も無く、たくさんの苦労をしてきたことに、気づかされた気がした。
『かわいそうに…』ではなく、『たくましいな』と思えた。
いつまでも私の腕の中で、私が自分の身を裂いてでも、幸せの片りんを感じさせてやりたいと考えていた。
思いあがりの自己犠牲だったみたいだ。
彼はしっかりと自分の目と心と身体で、自分の道を切り開き、いつのまにかその腕の中に守るべきものを、もう、しっかりと守っている。
結婚式と披露宴の間、私は『嬉しい』とか『感傷』ではなく、
新たに自分が、出発しなければいけない、『厳しさ』を感じていた。
私の母は、どうだったんだろう・・・
私は生涯、母と一緒だった。
子離れも、親離れも・・・・結局、私だけができていなかったような気がした。
2012.4.23