先日、北海道内の某テレビ局から、取材の問合せを頂きました。
『人の表情から、そこにある感情(たとえばウソ・ホント)を見分けることができるか?』という内容でした。
ちょうどファイターズの大谷投手の球種が、彼の表情から読みとられていたという一件があったため、旬な話題だったのでしょう。
メラビアンの法則として知られているように、視覚情報から読み取れるものは、全体の55%程度しかありません。
これを相手の顔、つまり“表情から”と限定すると、20%くらいかもしれません。
『視覚情報』とは顔の表情ばかりではなく、髪型やメイクや服装、そして身振り手振りや態度姿勢、呼吸の深さや細かい手足の動きまで入ります。
NLP心理でも『キャリブレーション』と言って、人に寄り添っていくためには、深く相手を洞察することが基本中の基本です。身体全体の小さな動きに神経を張ります。
いつも一緒にいて、性格や人柄が良くわかっている相手であれば、一瞬の表情の変化を察知し、その裏にある“感情”をつかむ事は容易でしょう。
取材にいらしたディレクターさんは、NLP心理の『視線解析』に関心を寄せていらっしゃいました。
目の動きを読む方法です。
人が何かを考えるとき(記憶をたどるか、創造するか)は、脳にアクセスして答えを出す努力をしています。
その時に脳のどこにアクセスしているかが、目の動きでわかるというものです。
初対面の人とでも、視線解析が分かっていると、相手の考え方の傾向や頭の中に浮かんでいる事が分かります。
クリントン元大統領のスキャンダル事件や市川海老蔵さんのテキーラ事件での彼らのテレビ会見での目の動きは、「記憶をたどっているのではない(真実は云っていない)」ことを物語っていました。
ただ、目は実際にはほんの少しの動きであることも多く、私は、【目の動き+言葉】で捉えるようにしています。
さて今回の取材では、
例えば『夫婦間、嫁姑、ママ友との付き合いの中で、表情で相手の気持ちが読み取りたい』的なご要望です。う~ん、身近な人間関係も確かに大変ですね。
そして、もしその趣旨が『相手とうまくやっていきたい』であれば、表情の読み取り方ではなく、相手の性格(反応の癖)を知って、相手に合わせることを考えた方が良いのではないかと、お答えさせて頂きました。
その上での、表情の読み取りありきではないかと考えていたからです。
ところが、そんな中、自分自身に事件が・・・!
私の留守中に、我が家の犬が大脱走してしまい、マンションのベランダ沿いに二軒先のお宅に行ってしまい、保護されました。
これは飼い主の私の大きなミスです。
ちょっと隙間程度にあけていたベランダから、わんこを冒険の旅に出してしまいました。
幸いにも、保護して下さったお宅のご家族は、表情も暖かく柔らかく、恐縮していた私はほっと胸をなでおろした、そんな感じでした。
が!
隣家の奥様は、大の犬嫌いで、それは承知していたので、日々かなり気を使って迷惑をかけないようにしていた中での、脱走劇。
愛犬が見つかってほっとしていたのもつかの間、隠しカメラでもあったのかと思うほど、タイミング良く私の前に仁王立ち、当然ではありますが“超怒りの攻撃”を受けました。
勿論、視線解析などという余裕は私にはありません。
目を見ないように、ひたすら「本当に私の不手際で…、申し訳ありません…。」を繰り返すしかできませんでした。
私の犬が隣家のベランダを通ったことで、たくさんの毛が飛び散り付着した、とのことで、動物嫌いであれば当然、怒りがわくのかと察知しました。
『怒りには、建設的に対処していく』そう学んだ気がしましたが、いえ、『怒りには抵抗しない』ことも必要な時があります。
実は…この事件はある日の日中におこり、この“怒りの攻撃”は20時過ぎの出来事でしたが、私はこの日、動悸が収まらずなかなか寝つけませんでした。
私にしてみれば一方的な怒りの中に、おそらくほんの数分でしかなかったのですが、何の抵抗もせずに身を置くしかなかった恐怖感からだと思いました。
反面、私の頭の中は妙に冷静で、愛犬を抱きしめ、無事に手元に戻ってくれたことに感謝していました。以外にも、犬に怒りを向けることはしなくて済みました。
翌日、仕事から戻ると、我が家の郵便受けに隣家からのメモが。
事件から24時間以上たっても、あたかも“今”のように怒っている文面です。(予期はできていたのですが)
そんな時、ちょうどお盆で、お世話になっている和尚様がお参りに来て下さった際に、相談しました。
隣家に対し今後どうしたらいいか、考えていたからです。
それは、隣家の方が、犬が嫌いで犬を見たことの恐怖心から来ているような怒りではないと感じたからです。
怒りたくて怒っている、なにせ丸一日以上、怒りの気持が継続しているのです。
なかなか出来る事ではありません。
和尚さんは
「いつも怒っている人がいて、その人は、他のことは見えない。自分の怒っている顔も、人が自分の言葉で傷ついていることも、見えていない。この人が自分から少しでも変わろうとしなければ、何をしても今は通じないかもしれない。
禅は捨てることを良しとする。自分の嫌な気分を捨てることを考えた方が良いですよ」と。
親しい知人にも少し意見を求めていて、
「菓子折りでも持って、お詫びに行こうかな」と話したら、
「そういう人なら、止めたほうがいいかも。火に油を注ぎに行くようなものだし、あなたも『せっかく菓子折りまで持って謝ってやったのに!』ってことになるだけじゃないかな」と言われたばかりで、それも納得できていたところでした。
いやはや、火事場に居ると、表情を読むなんて難しいことです。
自分と相手の関係と目的を把握して態度を決めることも必要です。
“いい人間関係”をつくることも必要ですが、“差障りの無い距離”を保ち、不要な自分の嫌な気分を捨てることも大事なことです。
こんな火中の栗を拾っている自分が、テレビで生意気なことは言えないなあ…と思っていたら、テレビ放映はなくなったと連絡が入りました。
不幸中の幸い、と思いましょう。
そうそう、
私は大谷投手の顔は、“表情”というよりは“力の入れ具合”または“気合い”という雰囲気のほうを強く感じました。
ストレート直球を投げるとき、そりゃあ口角を引き締め、真一文字にするしかないでしょう。
変化球は、直球より、やや力を抜くことをしているのかもしれません。
その違いが口元に出たのかも…と思っています。
プロは大変ですね。
『気持・感情』を読まれないため、というより、『自分の意思』を読まれないため競技によってはサングラスをする選手もいます。
大谷投手も今回のことで、また成長していくのでしょう。
私は職業柄『表情を出した方が良い』と指導することが多いのですが、
場合によっては、ポーカーフェイスも必要ですね。
私も日々成長したい…です。
2014.8.16